苦労した経験

1984年6月7日生まれ、愛知県出身出身である。東京に上京してくるときは少し抵抗があったと語っている。産まれた時の体重は3870グラム、52センチ。
あまり母乳を飲まない子で、痩せててよく女の子に間違えられと語っている。幼少期はいわゆる、マザコンだったと述べている。
母のことを「おかあちゃん」と呼ぶかわいらしい一面も。幼稚園に入り、そこで初恋を経験したそうだ。幼稚園では、バレンタインのときに名前の順で女の子が男の子にチョコレートをあげるイベントがあった。
名前の順番で、好きな女の子が別の男の子にチョコレートをあげた瞬間を見て失恋みたいな切ない気持ちを味わったそうです。幼いころからテレビをよく見ていて、芸能界に興味があったという漠然ととした考えで芸能界デビュー。

幼少期のころから、人見知りであった。D-BOYSに加入当初もなかなか馴染めず苦労したという話をしている。同じD-BOYSの三上真史との対談で、歳も近かったから話せるようになったけど、それこそ小学生のときは、他校の少年野球チームに一年半いて、一言もしゃべらなかったくらいなんです。と述べている。しかし、大淵裕昭は、そういう自分がイヤで、ずっと克服したいと思ってきたけれど、自分の気持ちを伝えるのがいまだに下手なんですよ。考え過ぎずに、すぐ思ったことをポンポン言ってみればいいんでしょうけど、、、と幼少期からの人見知り具合を語っていた。

小学生六年生で初めてラブレターをもらった。もらった瞬間にうさぎこやまで走って読んだ。しかし、人見知りでシャイだったため、その後なにをするでもなく、その子とも疎遠になってしまったとか。

大淵裕昭は、前歯が出ていることを幼いころコンプレックスに思っていることもあった。しかし、本人のブログで、このように語っている。「コンプレックスだった時期もありますからね。バカにされてたこともあったし…まぁ今でもバカにされますが(笑)そういうのって他人が思うより本人は気にしますもんね、と語っていた。

また、幼いころの大淵裕昭にとって、父の存在は大きかった。今でも怖かった、と、語るくらいだ。調子に乗って騒いだりすると、いつも怒られた。いつしか父の目を、父の顔色を気にするようになっていた。野球をやっていたが、本当にやりたかったのかと問われたら、NOと答えていただろうと語っている。父が大淵裕昭をプロの野球の選手にしたいと思ったから、それに従った。が、しかし、いつしか俳優を目指すことになっていたという。